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二月堂修二会 社参・暇乞い

2018年2月15日撮影 二月堂修二会 社参・暇乞い(いとまごい)
2月20日から始まった試別火(ころべっか)は言わば本行までの間の準備でもある。
そして今日で準備の準備が終わり、明日からは惣別火(そうべっか)という段階に移る。
そして惣別火に入ると練行衆は戒壇院から一切の外出は許されない。
なので今日25日は社参をし、暇乞いと称して自坊への帰宅が許される最後の日となるのです。

戒壇院にある別火坊から出る練行衆ら

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大仏殿の東側を登ってゆく練行衆

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大仏殿前で一礼

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天皇殿で待つ古老に暇乞いをする練行衆

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社参が終わり、開山堂前で再集合の声が出て練行衆らは一時帰宅が許される。

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小泉神社 御田植祭

2018年2月12日撮影 小泉神社 御田植祭
今日2月12日は奈良県内で多くの「御田植祭」「オンダ祭」が行われる日です。
有名な行事では河合町の広瀬神社のおんだ祭である「砂かけ」が知られるところで、砂を雨とみたててたくさんの砂が舞うことが豊作になると言われています。
小泉神社の「御田植祭」も一種の「砂かけ神事」であり、牛に砂をたくさんかけることが豊作になると言われています。
ただし小泉神社は砂を掛け合うという感じではなく、参拝者が牛に砂をかけるということになっています。

行事は巫女さんの奉納舞から始まります。地元の女の子でしょうね。

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御田植祭神事は、まず草刈から始まります。

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そして鋤(すき)で畦を作ります。

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鍬(くわ)で田んぼや畦を耕します。

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畦に豆を撒きます。(畦豆ですね。)

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そして牛の登場。
牛と牛使い、農機具を操作する農夫が忌竹に囲まれた田んぼを起こし鋤いていきますが、その時参拝者らが牛に雨をイメージしながら砂をかけていきます。

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牛の所作が終わると農夫がモミを撒いていきます。

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最後は早乙女に扮した、巫女さんが田植えをします。

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このあと、境内では御供まきが行われますが、ここの特徴は「餅」以外に「みかん」も撒いてくれるのですね。

興福寺追儺式(節分)

2018年2月3日撮影 興福寺追儺式(節分)

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手向山八幡宮 お田植祭

2018年2月3日撮影 手向山八幡宮 お田植祭
県内に数あるお田植祭(おんだ祭)の中でも謡物能楽の形式で行われる農耕儀礼です。
室町時代に始まったとされ由緒正しいお田植祭のひとつで、牛に扮した牛童(うしわらべ)、翁の面をつけた田主(たぬし)が御幣を畦に立てて鍬で苗代を耕し、牛童が鋤(すき)を引き回して籾まき等を行います。
途中、牛童が鳴くシーンがあって「かわいい」と声援があがっていました。
その後は、節分行事との関係が不明ながら福豆まきも行われます。
写真はシーンを順序立ててアップするものです。

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若草山山焼き

2018年1月27日撮影 若草山山焼き
若草山焼き行事の起源には諸説ありますが、若草山頂にある鶯塚古墳の霊魂を鎮める杣人の祭礼ともいうべきものとのことです。  このほかにも若草山を年内もしくは翌年の1月頃までに焼かなければ、翌年に何か不祥事件が起こると考えられていたことや若草山一帯をめぐる春日大社・興福寺と東大寺の領地争いがもとであるなどの説や、あるいは春の芽生えを良くするための原始的な野焼きの遺風を伝えたものであるという説もあるようです。(奈良市観光協会HPより抜粋)

写真は花火と山焼きの数カットを合成したのもです。

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