天河大辨財天社のおんだ祭(お田植え祭)

5月27日撮影

天川村の天河大辨財天社でおんだ祭(お田植え祭)が行われました。
ちょっと訳ありで、終了間際になっての到着であまり撮影ができておりませんのでご了承ください。

天河大辨財天社は飛鳥時代の昔にさかのぼり、最高峰弥山の鎮守として祀られたのが始まりだそうです。
また、古くから能楽・芸能の神様としても知られる神社です。

奈良盆地で広く行われる「おんだ祭・御田植祭」ですが、そのような理由からか、ここのおんだ祭(お田植え祭)は
少し変わっていました。

まず、本殿で「おんだ祭報告祭」が行われた後、兵庫商業高等学校龍獅團の卒業生による獅子舞が奉納されたそうです。
その後、神田で植え付けの儀があります。
一般的なおんだ祭は、面を冠った牛や田人が登場しますが、ここは本物の苗を早乙女らが植えていきます。
(実はここで、到着しました)

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勇壮な獅子舞(蛇踊り)を披露してくれた卒業生

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そして最後に参加者全員が空に風船を飛ばします。

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ここの早乙女さんらは、募集をされるそうです。
つまり、地元の方ではなく信者さんでしょうか。
お田植えの疲れも、空いっぱいに登っていく風船を見上げながら、晴れやかな笑顔でした。

《撮影メモ》
先に到着していた写友さんの情報では、10時くらいから始まったとのこと。
普段は写真不可だけど、このおんだ祭だけは撮影OKだそうです。
神田はそう広くありませんが、逆に背景の処理が難しいですね。
それと、地元のお祭りという感じはないです。

地元を感じたのは、早乙女さんが植えられた苗を植えなおされていたお母さんだけかな。

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大神神社 播種祭

2012年5月12日撮影

桜井市にある大神神社では、2月6日に行われる、殿内を神田に見立てて、田作男が面白おかしく農耕の所作を行なう
豊年講大祭 おんだ祭とは別に、大美和の杜の神饌田(しんせんでん)で、米作りの最初の神事として、籾だねを播く
播種祭(はしゅさい)が行われます。
これは、この一年の耕作の安全と米の順調な生育を願って行われる神事で、意味合いとしてはおんだ祭と近いのですが、
本物の田んぼに苗代を作って、実際に米を作られるのだそうです。

祝詞奏上に続いて、神職が田んぼの四隅を清めます。

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その後、神事として、白丁姿の豊年講員によって、鍬入れと籾播きが行われました。

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最後に、田んぼに水を入れるところ(水口)に、斎串(いみぐし)が立てられました。

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《撮影メモ》
大美和の杜の神饌田は、大神神社の摂社であり、学問の神様で知られる「久延彦神社」のそばの遊歩道を北側に下ったところにあります。
今回の撮影では、広角側のレンズより望遠側のレンズの出番が多かった気がします。
それは、撮影者は田んぼのまわりから少し離れたところからの撮影となるので、アップとは言わないですが、
全体だけを撮ってしまうと面白みがありません。

また、神事の終了後、豊年講の方が実際に籾を播かれていました。
なお、ここで生育した苗は、6月25日に今度は、「御田植祭」と称して、実際に田植えをされると聞きました。

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野依 白山神社のおんだ祭

2012年5月5日撮影

5日、大宇陀町野依の白山神社でおんだ祭が行われました。
このおんだ祭ももともと旧暦の5月5日(新暦では概ね6月)の行事です。
舞の衣装を保管する木箱には、明和5年と記してあるらしく、今から245年前ということになりますが、
その時にその木箱が新調されたものだとすると、歴史はもっと古いとも予想されます。

また、このおんだ祭は牛馬が登場しないということで、民俗的にも大変貴重なもので、奈良県の無形民俗文化財にも
指定されています。

神社の境内横にある集会所のような建物に十数名の神役らが集まり、田植えの様子をユーモラスに演じられます。
写真は、男性が扮する植女(ショトメ)が、菅笠を持ちながらその場で3回ほどまわります。

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集会所前で植女の舞があり、ちょっと順番の記憶がなくなりましたが、鍬で田を起こす者や、翁の面をかぶって
傘を半分広げては、またすぼめ、また傘を・・・と交互に出す足を変えながら3回所作を繰り返す田主どんと
呼ばれる者などによる所作全体を、広い境内で何度も繰り返しながら、本殿まであがってきます。
写真は何回目かで、上にあがったときの様子です。

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本殿での所作が終わっても、また境内に戻ってきて同じ所作を繰り返しますが、帰りの違う点は、植女の所作で
悪さをする子供らが出てくることです。

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また、所作の合間に間炊持ちと呼ばれる鳥帽子に姥の面をつけ、間炊桶を背負ったたおばあさんが出てきて、
間炊配りが、しゃもじで椀にめしをついで、神役に食べさせるまねをしますが、椀を差し出された方は、
「わっ!」っと叫びます。満幅の意を表してるとも聞きましたが、なかなか面白い所作でした。

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かくして、何回か同じ所作を繰り返しながら、集会所まで戻っておんだ祭は無事終了となります。

《撮影メモ》
大宇陀には沢山の白山神社があり、近くにも福西の白山神社がありますので、間違わないように注意が必要です。
また、周辺には駐車場がなく、多くの方は路上駐車されていましたが、無理な場所で駐車すると農作業車の通行
ができなくなるので、それも注意が必要でしょう。
撮影自体は、境内も広く本文でも書いたとおり、何回も同じ所作がありますので、定位置にじっとしないで
あちこち動かれた方が良いように思います。

明治以降に新暦5月5日に行われるようになったことから節句おんだとも呼ばれるそうです。
神社の本殿や末社には、菖蒲やちまきが献撰されていました。

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また、境内での本番前には集会所内で予行演習がありました。
一年に一回なので、所作を思い出すということもあるでしょうし、初めての役に当たった者にとっては、
年長者から所作の指導を受ける、伝統が守られて、引き継がれていくという重要な部分だと思いました。

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往馬大社 御田植祭

2012年5月5日撮影

10月の火祭りで有名な往馬大社で御田植祭が行われました。
他の御田植と同じく、稲作の成功を予め祝う、「予祝」の祭事です。
他の御田植と違う点は、広い境内の2ヶ所で行われるということ。

まずは、階段をあがって本殿横に作られたところで始められます。

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写真だけ見ていただくと、あまり変わり映えしませんが、ここは苗床だそうです。
牛がカラスキを引いて、田起こしが終わると、クワで苗床の水はけが良くなるように、3っつの畝を作ります。

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畝が完成すると、神主さんがモミ撒きをされます。

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これで、苗床にモミが撒かれて、第一部が終了
全員が、階段を降りて、田んぼに向かいます。
そこでも、牛が田んぼを耕し、カラスキで整えます。

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そのあと、巫女さんも交えて田植えが行われました。

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《撮影メモ》
おんだ祭りとして特徴的なものがないのか、(良くわかりませんが)歴史的に新しいのか、カメラマンは少数です。
あまり少なすぎて、あまり寄れなかったので平凡な記録写真になってしまいました。
こういった祭りでは使わないと思いますが、三脚も脚立も禁止ではないようです。
牛使いの方が、今のシーンは本当の田植えではどいうことでやっているのかもご説明されますし、
牛役の方との掛け合いも大変面白く、ファインダーを覗きながら笑ってしまいました。
あと、特徴的なものでいうと、田んぼの一角に菖蒲の花が添えられていました。

地黄のススツケ行事 ( ノグッツァン)

2012年5月4日~5月5日

橿原市の無形民俗文化財である「 地黄のススツケ行事」は昨年から、その名前となっている子供さんの
ススツケが休止されています。
しかし、行事の中心はノグッツァンと呼ばれる野神祭りであり、その行事自体は変わらず続けられていると聞き
撮影させていただきました。

夕方6時30分頃になると、役員さんらが公民館に集合され、藁で「ジャ」と呼ばれるものが作られます。

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大体、5~6メートル位になったら、これを更に直径1メートル位の輪にされました。

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その間、子供たちは大きな絵馬を2枚書いてくれます。
一枚は「牛がマンガをする場面」もう一枚は「馬がカラスキを引く場面」です。
毎年、見本がありそのように書いてくださいと言われるそうですが、なかなか細かい絵でかなり難しそうですね。

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大人たちが作った藁の「ジャ」と、子供たちが書いた「絵馬」を飾り付けます。
飾りつけでは、ブリの「頭」と「尾」を竹で串刺しにしたものが、一緒におかれていましたが、これを作っておられた方も、
「由緒・謂れはわからない。只々、毎年同じように作っている」とのことでしたが、何かあるのでしょうね。

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今夜はここで終了。
地元の皆さんは、直会?でしょうか、お酒が注がれていました。
絵馬を書いてくれた子供さんはここで一夜を過ごします。(昔は当屋さんで寝たそうです)

そして、まだ空も真っ暗な翌朝の4時に起床。
絵馬を担ぐ子供さんにつづいて、ブリの頭と尾を持つ方、ジャを持つ子供さんが集落を抜けた北側の森に向かいます。

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小さな森の中にある御神木のノガミさんに供えられました。

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《撮影メモ》
今回はススツケが行られおらず、行事自体が無いと判断されたのか、またはススツケは絵になるが、ノガミ祭りには
興味がないのか、撮影者は私だけでした。
本来はこれがメインなんですけどね。

今里のノゴト(大和の野神行事)

2012年05月04日撮影

「今里のノゴト」は名前だけはわかっていたのですが、場所や内容が良く判らない行事でした。
しかし、たまたま見つけた情報では、近鉄高田市駅近くの龍王宮の宮司さんが関係しているらしいとのことで
早速、お話を伺ってみました。

そうすると、「今日、4日の午後3時から一本木跡の御霊入れを行います」とのことで拝見しました。
この一本木は今里のノガミの御神木(榎)だったそうですが、平成9年の台風で倒れてしまっていたものを
このような形ではあるけれど、後世に残したいと建立されたものです。

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このノガミ神事は1541年(天文10年)には行われていたとの古文書もあり、五穀豊穣を願って470余年以上の昔から
行われていたと言います。
また、昭和58年には「大和の野神行事」の一つとして、県の無形民俗文化財にも指定されているようです。

一本木跡の御霊入れのあと、場所を近くの集会所に移され、ノガミ神事が行われます。
役員さんにご了解を得て撮影させていただきました。

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と言っても、祝詞奏上など一般的な神事が行われただけで、牛が出てきたり、御田植えの所作があったりもしません。
唯一、祭壇の横に農具の模型が飾られていました。

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そして、ご神体としてお祀りしているのは、この杵のような棒です。
長さは1メートルくらいだったでしょうか、測るのを忘れておりましたが、餅をつくには小さいような感じもします。
地元の方も良く判らないそうで、古い話では御神木であった榎に提げてあったらしいとか、葛木神社との関係を聞いた
気がする・・・ということです。

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《撮影メモ》
今回は名前だけの「今里のノゴト(農事)」を、何とか拝見することができました。
また、たまたまではありましたが、「一本木跡」の御霊入れにも立ち会うことが出来、幸運な一日でした。

久米寺 練供養 レンゾ

2012年05月03日

ゴールデンウィークは社寺をはじめ各地域での行事が目白押し。よって、撮影日が少々ずれておりますがご容赦ください。

さて、今回は久米寺の正式名「二十五菩薩練供養法要」ですが、別名を「久米レンゾ」とも呼ばれています。
不思議に思うのは、一般的に「レンゾ」は農業を休む日で何かを持ち寄って食べたり飲んだりといった、どちらかというと、
農村のお祭りではないかと思うのですが・・・

それはそれとして、練供養は本堂側からのスタートではなく、合唱之道場から始まります。
錦旗を先頭に、檀家さんや行者さん、稚児行列があり先頭集団の最後は住職さんでしょうか。

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僧侶に続いて、二十五菩薩が現れました。
先頭は観世音菩薩、手に持つ仏像を左右に大きく救い上げながら前に進みます。

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アップで撮りたいと思って、見上げるように撮影しましたが、空の部分が多すぎて背景が飛んでしまいました(失敗作)

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僧侶らは多宝塔の前あたりで止まり、経は読みあげられ散華がまかれました。
僧侶の中には、取れないでいる方に直接手渡しされる方も・・・

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法要が行われている横では参加された御稚児さんに、お浄めをされていました。

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法要が終了した時点で、御供撒きがありました。
お寺の行事で御供撒き?なんて思いましたが、レンゾという農村のお祭りと仏教が結びついた行事なんでしょうね。

《撮影メモ》
三脚、脚立が禁止になっていませんでした。
広い境内ですので沢山の参拝者がおられますが、比較的自由に移動も出来ます。
しかし、二十五菩薩を正面から撮るなら、脚立で少し上に上がって、少し長めのレンズがあるといいですね。





新泉町の野神祭り 素戔嗚神社

2012年05月03日

5月のGWは古くからの民俗行事が目白押しですね。すべてを回ることは時間的に難しいのですが、なるべくたくさんの
行事を拝見したいと考えております。
今日、3日は天理市新泉町の素戔嗚神社で行われる野神祭りに行ってきました。
この野神祭りは他の地区でされている野神とちょっと違って、御田植え神事と合わさったような感じです。

前日までに麦わらで作られた牛、馬、蛇と竹で作られた農具が当屋さんの玄関わきに飾られていました。
良く見ると、牛には角があり、馬にはありません。蛇の方は地元でムカデと呼ばれているようで、藁で編むときに
足が出来てしまうからかなぁ・・・などとも思いますがどうでしょうね。

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午前10時30分に当屋さんを出発。宮司さんが先頭となり、藁の牛、馬、蛇を抱えた当屋さんや役員さんが続きます。
そして、途中の辻々で竹を地面に刺して、中にお酒を注ぎながら、素戔嗚神社を目指します。

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神社では献撰や祝詞奏上などが行われた後、藁の牛に竹で作られた農具で御田植神事が行われます。
他の地区では、御田植の神事には大人の田主が、面を付けた牛役を引く所作が見られますが、ここでは田主は子供さんで、
面はかぶっていませんが、藁の牛を操作するのも子供さんのようです。
(子供さんが小さすぎてお父さんが持ってますが、子供さんがメインです)

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カラスキ、マンガなど一連の所作が3回ずつ繰り返され、それが終わると、馬が引き出されてきます。
これも牛と同様に子供さんが抱えて、境内を3周まわります。
これも他の御田植では見られない所作でした。そもそも馬は出てきませんので、何かその昔は流鏑馬のようなことがあった
名残かも知れませんね。

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神事が無事終了した時点で、参拝者にもお神酒の振る舞いがありました。
また、御供撒きはありませんでしたが、そのかわりかも知れないお餅のお下がりを頂戴しました。

その後、当屋さん宅では直会が行われます。
宮司さんと子供さんの食事です。
この食事がなかなか伝統が守られた内容で、生節やふき、高野豆腐など子供さんにはちょっと辛い内容でしたが、
伝統を守られていることが素晴らしいと思いました。
また、宮司さんと子供さんだけの食事ということは、村への仲間入りということでしょうか。

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《撮影メモ》
神社でも献撰で四角いご飯?のようなものが気になり、地元の方にお伺いしたところ、白米と餅米を蒸して
型に嵌めたものだそうで、必ずこの形だそうです。
そして、この型になる四角い器には「がんじ元年」を記されているそうで、「がんじ」が「元治」であるなら
元治元年は1864年ということで、149年前のものであるということですね。
話は脱線しますが、その年は坂本竜馬の属する海軍練習所が閉鎖された年です。

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今回はもう一枚。
で、神社の所作で出番がなかった蛇ですが、行事終了後は本殿脇に置かれていました。
昔はもっと長くて、本殿をぐるっと一回りしたと言いますから、十数メートルはあったのだろうと思います。
ちゃんとお目目もあって、カワイイですが、このあたりの意匠は御所の野口の野神にも似ている気がします。

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