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大和神社 御弓はじめ祭

2014年1月4日撮影

天理市の大和神社で行われる御弓はじめ祭は、厄除けや五穀豊饒を願う恒例の行事です。
宮司らに続いて入場する射手10名は華やかな衣装を身にまとい、新春らしいなかなか晴れやかな印象でした。

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祭典の後、境内において高い音が鳴る鏑矢(かぶらや)が放たれ儀式がはじまり、宮司らが矢を放ちます。

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地元中学生による弓術の披露

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弓術の流派「小笠原流」を伝承する県弓道連盟会員らが、華やかな古代衣装に身をつつみ、作法に則り弓を構えます。

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そして、鎌倉時代から伝わる「百手(ももて)式」と言われる打ち方で、流れるように5人が次々と矢を放ちます。

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つづく男性らの5人も同様に、百手式で矢を放ちます。

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【撮影メモ】
この行事ははじめてでしたが、衣装も含めてなかなか新春らしい行事でした。
県内で行われる弓始式(祭)の中でも、指折りではないかと思います。
ただし、その分観客が多く、撮影の位置取りに苦労します。
出来れば弓手の右前から5人を撮影したいところですが、そこは関係者席となっていて入れない。
ならば、その後ろからと思っても、看板があって上手くいかない感じでした。
今回は初めてということもあり、あちこち移動しながら、混雑した観衆の隙間から覗くように撮影しました。
弓手の左側から撮影されているカメラマンも多くおられましたが、どのような感じなのでしょうか。
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椣原の綱打ち行事(勧請綱掛け)

2014年1月3日撮影

平群町椣原で、毎年1月3日に行われる勧請綱掛け
集落の入口に外から邪悪なものが入らないようにと願って掛けられる綱で、奈良県内の各地で同様のものが見られます。

午前中から作られる綱の最後の仕上げには、「フグリ」と呼ばれる男性のシンボルを男綱に取り付けます。

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出来上がった綱は男性が中に入り、ぐるぐる巻きにしていきます。

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で、ぐるぐる巻きの最後はこんな感じ

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このあと綱は広場に移され、祝い事のあった人を中心に綱の下敷きにし、お祝いをされます。
特に祝うことがなくても、この綱の下敷きになると一年が無病息災でいられるとか。

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綱は金勝寺の横をながれる竜田川を横断するように掛けられるのですが、すぐ横を近鉄電車が走り、とても危ない場所ですね。

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今年も無事に掛け終わりました。
画像が小さく、ちょっと見づらいですが、フグリを中心に、龍の爪に見立てた縄が2本つる下げられて水面に届きそうです。

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金勝寺の僧侶によりご祈祷があり、般若心経が唱えられていました。

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焚き火では、ご祈祷された餅が焼かれ参拝者に配られます。
と言っても1個丸々ではなく、焼けたところをちぎってちょっとづついただく感じで、私もいただくことができました。

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【撮影メモ】
ここの綱掛けは午後2時過ぎから綱を張るので、いい天気だとまともに逆光になります。
お天気が良いにこした事はないのですが、撮影となると薄曇りがベストだと思います。

下平田の亥の子

2013年12月15日撮影

亥の子の晩に 餅のつかん家は
箸の家建てて 馬の糞で壁塗って
ここの嫁はん いつもろた
三月三日の 朝もろた
鰯三匹 酒五合
新米藁で祝おてやろ
もひとつおまけに 祝をてやろ

暗くなった集落で、子供の声だけが響いています。
今日は明日香村平田の亥の子の日です。

亥の子は、旧暦の11月亥の日に新米の収穫を祝い行われた行事で、この年に新しくお嫁さんを迎えた家に行き、「ここ嫁はんいつもろた・・・」と、藁で作ったデンボと呼ばれるものを地面に叩きつけながら歌います。

現在は新しくお嫁さんを迎えた家だけでなく、この行事に理解をいただいているお家を回っている感じでした。

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歌を終えると、その家の方からお菓子やお小遣いをいただきます。
昔はその年に収穫したもち米でつくった餡付け餅をいただいたという記録があるのだそうです。

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こういった風習は以前は周辺地域ではどこの集落でもされていたといいますが、明日香村では唯一下平田のみ残される行事だそうです。
近隣では高市郡高取町の森や佐田でも行われています。(記事はこちら)

ここ下平田では戸数が多いため、男子組と女子組に分かれて集落を回ります。
最終的に集会所で集まりますが、集まった時点で、男女混合のみんなで歌ってくれました。

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で、記念撮影!

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このあと子供たちは集会所の中で、いただいたお小遣いやお菓子を均等に分けて解散となるようです。

下部神社 吐山の太鼓踊り

2013年11月23日撮影

元々は雨乞いの踊りで、本来は不定期で実施される行事ですが、近年は郷土芸能の伝承を願ってなのか、小中学生らも参加して例年実施されているようです。

今年は、例年踊られる「干田(ひんだ)踊り」に加え、しばらくされていないという「長崎踊り」が披露されました。

太鼓踊りは集会所から二手に分かれて出発し、下部神社の南側からと北側から、太鼓を打ち鳴らしながら境内へと進みますが、撮影していて気になったのは、下部神社の行事のはずなのに、旗には「春日大明神」とか、「春日神社」とあります。

少し気になって調べてみると、

「下部神社はもともとは吐山の東南部字オリイにあり、社殿の裏山には岩石が重なった、里人が「いわぐろ」と呼んでいる聖域がありました。聖域は古代信仰の霊域であり、この地に星川氏が神武天皇の皇子、都祁国造の祖である神八井耳命を、氏神としてまつったといわれています。
 下部神社は、明治40年(1907)に中南垣内字クサオにある春日神社に合祀され、昭和20年(1945)に県社格に認められています。社蔵には絹本著色法華曼羅図、大般若経600巻などがあります。」大和路アーカイブから引用

なのだそうです。

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ちょっと写真と踊りの名前が良く判らなくなりましたが、踊りながら、踏み込んで、太鼓を叩くという動作が独特ですね。

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このあと、境内では御供撒きがありなかなかの活況でした。

墨坂神社 秋季例祭のお渡り(宵宮)

2013年11月2日撮影

11月3日が墨坂神社の秋の例祭で、時代行列さながらの行列があるようですが、今日2日は宵宮の撮影分です。

宵宮では、旧社地に設けられた御旅所までの行列があり、一方、市内では宮本・上之町・東町・福地の4箇所から太鼓台が出て、それぞれの地区の地まわりが行われます。

まずは宮本から拝見。商店街を練り歩き、ご祝儀をいただくと「サセー、サセー」の掛け声と共に太鼓台を持ち上げられます。

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こちらは福地。福地は新興住宅も地区に入っているので、真新しい住宅街を進みます。
ミスマッチ的には面白いのかも知れませんね。

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夕刻になって、市内で2つの太鼓台を見つけましたが、暗くなってきて地区がよくわかりません。

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19時頃、拝殿に氏子代表らが集まり宵宮の神事が始まります。

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そして、その後、現在の神社から西へ少し離れたところにある旧社地まで、お渡りです。
提灯を先頭に、祭神を乗せた御輿が続きます。

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到着後、改めて神事が行われました。

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無事にお渡りが終わる頃、市内を練り歩いていた太鼓台も、地元地区に戻りますが、夜が更けるまで太鼓台を囲んでおられたのが印象的でした。

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広陵 櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)神社 戸立祭(宵宮)

2013年10月31日撮影

櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)神社は、延喜式神名帳にも記された由緒のある神社で祭神は、その名のとおり櫛玉比女命をお祀りしています。
ちょっと珍しいのは、神殿が前方後円墳の後円部に築かれているんだそうです。古墳の上に神社?っていう感じですね。

戸立祭は県内でも珍しく勇壮なお祭りで、住民が戸を立てて(閉めて)祭りに参加したということから、その名が付いたとも聞きました。

戸立祭は日中から始められ、弁財天、南、的場、萱野の4地区から地車(だんじり)が出され、町内を巡り、夕刻になって神社前に到着。
そこからが祭りのクライマックスで、拝殿に向かって一気に走りこんで、石段の手前で、急ブレーキをかけて止まるという所作が見ものです。しかし、年によっては上手く止まれず、石段にぶつかることや、過去には事故もあったようです。

昨年度の撮影分はこちらにありますので、ご参照いただくとして、今年は色んな位置から撮影してみたいと思いましたので、今後の参考になれば、幸いです。

さて、第一番目は拝殿に向かって右側の石段横から撮影しました。
ちょうど走りこんでくる正面になり、少々早めに陣取ったので、ここならなだれ込む様子も撮れそうな気がしました。

でも実際はあまり良くなかった。
真正面過ぎて、地車の勢いがわからない。
石段に近すぎて、そこそこの広角レンズを使用しても、全体が入らない。
しかも、その場所から移動するということは、絶対に戻らない覚悟が必要。

で、撮影画像はこちら(弁財天の地車)

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もう一回に賭けての撮影画像はこちら(南)
なだれ込みのシーンは上手く撮れたものの、地車は全くだめでした。

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そういうこともあって、3台目はその場所をあきらめて、フリーな位置へ移動し、地車が出発する場所へ移動しました。
そこなら、出発前に地車の前で伊勢音頭を歌い、精気を起こす若者のシーンが撮れます。(的場)

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とりあえず、この位置が気に入ったので4台目もここから撮影(萱野)
なだれ込んだあと、宮司さんにお願いし、拝殿に上がらせていただき、中からのシーンを撮影させていただきました。

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【撮影メモ】
今回の記事自体がメモのようになりましたが、要約すれば、あまり拝殿前にこだわらないで、自由に動き回ったほうが、良いカットが多かったというのが、答えになりました。
来年はもっと自由な位置で、あまり定番に拘らないで撮影に望むことにします。

御杖村菅野 四社神社の獅子舞

2013年10月27日撮影

奈良県で獅子舞と言えば、曽爾村の門僕神社が県の無形民俗文化財として指定され有名ですが、ここ御杖村でも各集落で獅子舞が伝承されています。

そんな中、今日は菅野地区にある四社神社で奉納される獅子舞を拝見しました。
昨年は前日に行われる村まわりを拝見しましたたが、本番は初めてです。(昨年の記事はこちらを参照

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獅子舞に欠かせない道化師役の「ハナナガさん」
観客の中に入り込んで、おどけては会場をわかしながら、平癒を祈りながら肩や腰などの痛いところを叩いてくれます。

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獅子舞には詳しくはありませんが、ここも曽爾村と同様に伊勢街道に面しており、伊勢神楽の流れをくむようで、接ぎ獅子も奉納されます。
上に乗られるのは、地元の中学生。こうやって獅子舞が伝承されているのでしょうか。

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